麻雀は博打という性質を帯びていることから、闇の世界で行われることもあります。それは黎明期においても同様でした。昭和の初期には既に警察による取り締まりが強化され、戦争の匂いがする時代背景もあって、ゲームの健全化が推し進められました。高額な景品を取り扱うことも禁じられ、警察や軍の圧力は全国の雀荘にまで及びました。その結果、雀荘の数は減少し、麻雀ブームに冷や水を浴びせることになったのです。大戦前には雀荘が無くなるという事態に陥り、麻雀ファンにとっては嘆かわしい時代を迎えました。 しかし大戦後には再び麻雀熱が生じ始めました。自由の空気が蔓延したこともあって、ルールの整備も急速に進みました。特にリーチ、ドラというルールが導入されたことは大きく、戦争で疲れた大衆の心を癒すことになったのです。因みにこれらのルールを教授したのは、中国本土で戦争に参加した元兵士たちでした。リーチ、ドラが伝えられた背景には、東京における麻雀荘の影響許可があったことは確かです。浅草を中心に次々と雀荘が建てられ、日本麻雀連盟も復活することになりました。戦前のルールよりリーチ、ドラの方が親しみやすく、以前のブームを凌ぐ流行が訪れました。日本牌棋院が設立されたのもその流れを受けてのことであり、麻雀の大衆への普及が大いに進むことになりました。こうして日本麻雀のルールの主流は、リーチ、ドラになったのです。 戦後の流行は長く続きましたが、それでも波はあるものです。次の波は70年代に入ってからのことでした。直前に「麻雀放浪記」やテレビ番組における紹介があったことから、麻雀専門誌「近代麻雀」は大ヒットしたのです。70年代から80年代にかけての流行は爆発的なものではありませんでしたが、長く愛され続けるという特徴がありました。